サバティカルにあたって

2008年9月25日 (木)

地中海で日本を考える

キプロスに到着した日、ホテルでインターネットが使えるということだったので久しぶりにネットを見てみる。そこで飛び込んできたのが、Niftyの福田首相辞職のニュース。ええ?しばらく日本のニュースを見ていなかったので、いったい何があったのか、まったくわからない。驚くと同時に、なぜ今、辞職表明なのかわけがわからなかった。

ネットの情報では「辞職」という事実しか書かれていなかったので、記者会見でもやらないかとTVのニュースチャンネル(CNBC?)をつけてみてみる。

ところが、繰り返しニュース番組が放映されているにもかかわらず、なかなか福田首相退陣のニュースに触れられない。トップニュースは、共和党の副大統領候補がペイリン氏で決まり、彼女の娘が16歳で妊娠していてなんたらかんたら・・・というもの。これはまあいい。その次のニュースは、イギリスの大富豪が妻子を殺害しただとか、そんな話だ。しばらくして、やっとニュース番組の最後に日本の首相が辞職したということが放映された。残念ながら記者会見の様子については、中継はおろか、録画さえもほとんど放送されなかった。

日本の、特に政治の存在感の低下を端的に示している気がし、非常に寂しく感じた。

CNBCは、ヨーロッパ圏で作成・編集されていると思うが、確かに日本はよー路一派からすれば距離的に遠い。特にキプロスでは、空港以外に日本人を全く見ないほど遠い国だ。しかし、街には日本車が当然のように走っている。日本の電気製品の看板や広告も驚くほど目にする。決して縁の薄い国ではないはずだ。それに比べ、このニュースの扱いはどうしたことか?

二人の首相が続けて途中で政権を投げ出すという事態に、世界もあきれたのだろうか? 個人ではどうしようもないのに、どうにかしなくちゃ、と感じた夜だった。

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2008年9月24日 (水)

「民族」を考える~新しいイデオロギーは?

キプロスにおけるトルコ系民族とギリシア系民族の対立に見られるように、世界各地で民族紛争が絶えない。こうした不幸な争いを起こす「民族」とは、いったい何なのだろうか?

民族という概念が明確に意識されたのは、実は比較的新しく、19世紀後半といわれている。それまでは、戦争の原因は、民族よりも宗教の違いによるものが多かった。ユダヤ教徒の迫害は、キリスト教とユダヤ教によるものである。オスマントルコ帝国では、ハレムの女奴隷は国内外の異教徒から集められ、宮廷で改宗した。皇帝の寵愛を受けた彼女たちの中の一人が皇太子を生む。つまり異民族であっても改宗すれば、皇帝の母として権力を振るうことも可能だったわけだ。(女奴隷の身分が幸せかはわからないが、同時代のキリスト国家が魔女狩りなどを盛んにしていたのに比べれば、よほど健全だと思うが・・・)

民族が独立し、自分たちの国家をつくるというのは、19世紀後半から20世紀にかけて、そして今日までも続いている。私は、以前は民族主義というのは、他民族の支配から逃れて自分たちの国をつくる、何か崇高なもののように捉えていた。でも、民族の対立があまりにも多くの不幸を呼んでいる現状を見て、考えが変わってきた。

トルコ共和国の歴史を振り返ると、壮大な異民族、異宗教の集合体であったオスマントルコという枠組が緩んできたときに、建て直しのために最初は国内のキリスト教徒は独立を認め、イスラム民族のみを束ねようとした。しかしそれもうまくいかず、最終的にトルコ民族のみを束ねる国家を創る。

こうしてみると、実は民族国家というのは単なる政治家の権力の土台となる国という場をつくるためのお題目なんではないだろうか?という疑問が湧いてくる。民衆は、別に隣の住人がイスラム教徒であろうとユダヤ教徒であろうと、迷惑をかける人でなければ共存できる。民族が違うというだけで憎悪を喚起するのは、自分が都合よく統治するための政治家の権力欲なのではないか?

では、民族を超えるイデオロギーがあるかというと、これも難しい。民族という名の下に、お互いの反感を喚起させているのは権力者の欲からではあるが、一方で、生活習慣や風貌が異なる人=民族には、人間は自然と抵抗感を抱くもので、その感情は非常に根源的なものでもあるからだ。よく知らないものに対する恐れともいえるだろう。権力者はこうした感情を利用しているのだろう。

「よく知らないものに対する」抵抗感が、民族紛争発生の根本にあるのなら、お互いをよく知ることが、抑制力になるはず。しかし、キプロスにおける民族紛争は、残念ながらよく知っているはずの昨日の隣人を、今日は殺しあうこととなってしまった。たとえよく知る友人であったとしても、戦いにはそれを越える何か理由があるのだろうか。

しかし、いまこうして和平に少しずつ向かおうとしている現状を見ると、やはり長年の隣人同士であった理解というものが根本にあれば、いつかまた、紛争を乗り越えられるのではないかという希望を持ってしまう。何度もいろいろなところで同じようなことが起こっても、希望を持たざるを得ないのだ・・・。

p.s

もしかしたら、民族を超えるイデオロギーは「企業」なのかもしれない。イデオロギーが長続きする条件は、私見であるが「外見や習慣などにおいて、人間の生理的・根源的な抵抗感を感じさせないこと」「利害を共有できること」だと思っている。であれば、下手をすると家族よりも長く一緒の時間と空間を共有し、企業活動の収益を給与に反映するという意味でこれ以上、利害共有の立場はない「会社の同僚」でつながった企業というのは、人々をつなげるものすごーく強い紐帯となるのではないか?

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2008年9月18日 (木)

文明の十字路とは、すなわち戦いの十字路なり

マルタ、キプロスとも、地中海交通の要衝に位置することから、古代から多くの文明が交流する場となってきた。「交流」といっても、交易や文化交流ではなく、実質は「戦い」であった。その支配権をめぐって、ギリシア、ローマ、ビザンティン、アラブ、トルコ、イギリス・・・と、両国とも様々な民族の支配を受けてきた。こうしたことを通じて、異文明の衝突の連続の歴史を持っていることを知識としてはもっていたものの、現地を訪れ町を実際に見るにつけ、そこここから実感された。観光地として残っている場所のほとんどは、戦場の跡地だったからだ。

ここでは、私が訪れた地を紹介しながら、文明の衝突の連続だった両国の歴史を現代からさかのぼる形で紹介していきたい。

→「訪問地 Photo Report」をご覧ください。

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2008年9月 6日 (土)

なぜキプロスとマルタなのか?

大学の卒論で扱ったのがキプロスなんです。ええ、かなり珍しいですが、それが何か?

どうも私は昔から、異文化の交流というものに興味があるようで、塩野七生氏の影響で興味をもったイタリアルネサンスから関心が拡大し、イタリアルネサンスと深く影響しあったオスマントルコとの関係について卒論を書くこととなったのです。

そこで舞台として取り上げたのが、ベネツィア共和国とオスマントルコとのキプロスを巡る攻防戦でした。

できれば卒論を書いた時期にキプロスを訪問したかったのですが、ちょうど当時はキプロス国内がキプロス紛争で緊張が極度に高まっていた時期であり、断念しました。

しかし、紛争があるので行くのが難しいということもあり、キプロスという国は、私の中でずっと「いつか訪ねてみたい国」となっていたのでした。

ここにきてかなり緊張が和らいだということを聞き、思い切って訪ねてみることにしたのです。

マルタは?はっきりいっておまけでした。まあ、キプロスと同様に、古くから多くの文明が交流しているということもあり、どうせ遠くまで行くならいっしょに行ってしまえ、というのりで行くことにしたのです。

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2008年8月28日 (木)

マルタ共和国とキプロス共和国について

Euro_chicyuukai_4_2

キプロスとマルタというと、ほとんどの人はその名前を聞いたことがあっても、位置や歴史を知っている人は少ないでしょう。

どちらも地中海の小さな島国国家(両国ともれっきとした独立国家です)。その地理的位置から古代から政治経済の要衝として、十字軍とアラブ、トルコやベネツィアなど、多様な文明の十字路となっていた。

近年、両国ともイギリスの統治を経て独立し、20045月にEU加盟、2008年よりユーロを導入している。

アップしたのは、地中海の地図。この中で、マルタとキプロス、さてどこでしょう?

<参考>

▼キプロス共和国

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B9

Cyprus_map_3 

▼マルタ共和国

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%BF

Maltamap_3

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